「わ〜きれ〜い!おっき〜い!」
「あはは、こんだけ主張してるとそうなるよねぇ」
見るからにお高そうな旅館の一室の、大きな窓。
太陽の光をキラキラと反射した湖と、その奥に聳える山。
雄大な自然を前に語彙力を失っても仕方がないというものだ。
ゲンくんにとってはまあまあ見る景色なのかもしれない。だけどしがない一般人の私からしたら、大人が頑張った自分へのご褒美にするような、そういう宿である。
「ほ、本当にここに泊まるの?私たち」
「そうだよ」
「……ジーマーで?」
「ジーマーで」
畳の匂いがする。ここでごはんを食べて、ここで寝るんだ。
さっきははしゃいでしまったが、どうにも落ち着かない。
夕飯までどうしよう。お風呂に行くか、もう一度外に出て散策に行くか。
しかし朝早くに家を出て、チェックインの時間まで色々と遊んでしまったせいか思ったより疲れていて、だけどそれはゲンくんも同じだ。
「あ、ねえお風呂の後にマッサージしてあげる!」
この宿を選んで、ここまで連れてきてくれたのはゲンくんだ。私はただ彼の隣に座って窓の外の景色を見たりカーナビを操作したりゲンくんが運転する姿をチラ見したり。すっかりドライブデートを満喫していた。
私ばかりが楽しんでいては、気が引ける。
「……ゲンくんってさ、運転上手だね」
「そう?人並みだと思うけど」
人並みにできればじゅうぶんだ。
「安心して乗っていられたから」
慣れない山道を意外とすんなり進んでいくものだから、練習したんだろうな、と思う。
ゲンくんはどちらかというと運転する人というより乗せてもらってる人だ。
だけど裏でする努力というのはマジックの仕込みのようなもので、そういう話をゲンくんにわざわざするのも野暮である。ここは飲み込んで「上手だね」の言葉に全てを込めることにした。
そんな私の思惑も、彼にはバレているのかもしれないけれど。
お茶を飲んで一息ついて、特に合図をしたわけでもなく二人で畳に寝転んだ。
「夕飯まで休む?」
「ん、アラームかけとく」
車で寝てても良かったのにとゲンくんは言うけれど、もったいなくてできなかった。
でも、お互い張り切りすぎてたのかもしれない。
「夕飯楽しみだね」
「うん、俺は貸し切り露天風呂が楽しみかな……一緒に入ろーね」
「うわ〜」
「その後のマッサージも……楽しみだね……」
「うわ〜〜」
楽しみ楽しみと言いながら腰を撫でる手をペチペチと叩いてたしなめた。
「本日のマッサージはややキツめのコースとなっております」
「ジーマーで?やらしくしてよ〜」
「……ゲンくん、疲れてるでしょ」
脳のブレーキが怪しいゲンくんをとりあえず寝かしつけてあげなければ。
「でも俺が一番楽しみにしてるのは、日付が変わる時ね」
日付が変わる時。こうやって過ごしていれば、いずれは訪れるその時。毎日はその繰り返しで出来ている。
だけど、今日と明日の境目は少しだけとくべつになる。ゲンくんが、とくべつにしてくれる。
彼の隣で、その時を迎えるのが楽しみで仕方ない。
「頑張っちゃったからね。名前ちゃんのこと一番に祝えるように」
「……さっきまでやらしかったクセに」
「照れてるの?かわい、」
そんなやわやわした声で甘やかされたら、本格的に眠ってしまいそうになる。
まだご飯も食べてないし、お風呂も入っていないのに。
とにかく、今日はまだまだやりたいことが残っているのだ。
私の葛藤などよそに、既に寝息をたてているゲンくんの背中にそっと腕を回した。
2020.7.31
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